今日は少し穏やかで心地よい天候だったので、お昼休みに食事に出た時、ちょっと遠回りして散歩してから事務所へ戻った私ですが、そんな今日が涙の彼方でなつかしく思い出したくなるくらいの激しい嵐の中にまもなく身を委ねる事になります。
・・・と言っても荒波の日本海へ獲物を求めて小舟で漕ぎ出す訳ではなく、眠る事を許されないくらいの忙しい日々が迫っているちゅうだけの話ですが。
この後、再来週の月曜日まで怒濤の毎日が始まります。それも肉体的にではなく、もっと辛い精神的な忙しさです。
ひとつづつ袋に詰めていったら一箱、また一箱、ああもう少しで終わる!ってな感じで過ぎる訳ではなく、頭をふりしぼって考えつかなければ永遠に終わりが見えてこないみたいな追いつめられ方です。
でも日にちが過ぎれば嘘でも終わるので、逃げ出すという手もありますが、そうすれば社会的な信用を無くすので出来ません。
あ〜あ。
幸いな事に明日はお休み。嵐の前の休息です。
祝日に休めるという世間様と同じ事が出来るのは、今の仕事では普段到底考えられない事なので、それだけでもありがたみが大きいお休みな訳で、大切に使いたいと思いつつ、この先の事を考えて静かに冬眠したい気もして、すでに頭が一杯になりました。
考えた分だけ脳細胞が死んでいくなら、もったいない事をしています。
今一番やりたい事は大きな図書館で丸一日過ごすか、古い町並みをのんびり歩きながら写真を撮ることだけど、さてどうしようか?
気がついたらまた夕方になっているかも知れないなあ。
今月、初めて照明を担当する劇団から、過去の作品のビデオを資料として手渡されていたので、とりあえず見てみる。
普段はあまり先入観を持たずに作品に取り掛かるのでそんなビデオなどは見ないのだが、手渡されたので一応つっこまれないように見ておく事にしたので。
初めての劇団との付き合いは、演出の好みなど分からないので、こちらもかなり緊張する。
他人の明かりは人それぞれなのでいつもはとやかく言わないのだが、自分が照明を担当する事になった劇団なので、その明かりが演出の意向なのかそうじゃないのかは重要な事だ。
今日見たビデオの明かりはどうにも腑に落ちない。
全てにおいてバランスがよくない気がする。
ビデオなので実際の明かりとは違う分を差し引いても気になる部分が多い。
これが演出の好みだとしたら、やっていけないかも知れないなあ。
今回の劇団の演出家は前に私の照明を見た事があるらしいので、こちらの作り方を知った上での依頼だと思うので、まったく合わないという事はないと思うが、ちょっと合わない事があるかも知れない。
こういう舞台の仕事の場合、やっぱり自分で納得出来るものを作り上げる事をしたいのだが、それが演出のイメージと違うと、演出に方針に従って自分を押さえる事をしなければならない。
もちろんこちらの思いも十分に伝えて話し合うであろうが、最終的な判断は演出に従う。
それが仕事なのだから。
でも気持ち良く出来ないのを無理に押さえるのも結構辛いもんです。
今回、もしそうなれば仕事として我慢するか、次から断るか・・・
だから初めての劇団との取り組みはいつもながら非常に緊張する。
例えるならば入社面接に近いか(そんな経験がないのでよく分からない)
向こうも恐らく緊張しているだろう。
最初の稽古見の場は、そんな2人のお互いの探り合いなどが見れて、そういう状況をよく分かっている人が見れば多分面白い、いや、かなり面白いと思うのだけど。
・・・と思っているが向こうは平然と構えていたりして。
この間、閉館した近鉄劇場へ荷物を取りにちょっと行ってみたら、客席ロビーや楽屋にあった自動販売機の搬出していたり、楽屋入口の看板が外されていたりしていて本当に終わったんだと実感しました。
ひさしぶりに事務所へ出ての仕事。
よく考えたら今年初めての事務所出勤だった。
掛け持ちからようやくまた通常の仕事体制に戻った。
机の上には書類の山・・・
おかげで今日はあっという間に1日が過ぎた。
あ〜あ・・・
昨日、お疲れさまの飲み会で今朝5時過ぎまで飲んでて、その上帰り寒空の下、自転車で帰ったものだから昼頃まで死んだように寝ていた。
起きて寒いなあと思い外を見てみると、雪が降っていた。
隣の犬はその雪の中でいつもの場所で寝ている。
・・・と思ったら気づいて
慌てて退散。
気づいてよかったね。もう少しで雪まみれだよ。
2月1日の近鉄小劇場に続き、2月4日、近鉄劇場も18年の幕を閉じました。
最終公演は劇団ふるさときゃらばんの「パパの明日はわからない」でした。
最後の公演のカーテンコールには舞台スタッフ、近鉄劇場の関係者も舞台上にあがり最後のお別れをしました。
私も舞台に立ってゆっくりと客席を見渡して、最後を見届けたお客さんの想いを感じる事が出来ました。
公演終了後、バラシも全て終えてから、最後に舞台上でお別れの乾杯をしました。
もうこの客席に座る人はいません。
18年間、ここで役者を照らし続けた照明機材もここでの役目を終えました
舞台上のこの劇場での役目を終えたスポットを見ていると、もうここで使われる事がないと思うとちょっと泣けてきます。
色々な思いが交差する中での閉館ですが、これは新しい劇場文化へと繋がるための意味のある終わりであると思います。
この劇場はこれで終わりですが、これからの劇場文化を作るための新しいステップとしての意味のある閉館だったと思います。
18年間ありがとう。