今回の公演で非常に役に立ったCOMOS PROJECTのCOMOS Text Editor。
COMOS、JASCII、ASCIIなどのテキストデータを扱えるアプリです。Windows用ですが・・・
この間、稽古場で台本を待つ間、時間がもったいなかったので、取り合えず前半の分かるところだけデータを作ろうと、持っていたPoweBookG4でVirtual PC立ち上げて、これでデータを作成。うちでCOMOSフォーマットのデータに変換してそれを劇場に持っていった。
次に行く東京の劇場の調光卓がExpressなんだけど、これはExpressのテキストデータにも変換出来るので、今度は持って帰ってきたデータをこれでExpress用に変換。非常に大助かり。
これを使わなくても色々すればテキストデータの変換は出来るのだけど、手間なく簡単に出来るので便利。
気がつけば、まもなく丸1年、更新せず。
いいかげん、charaBLOGの方と一緒にしてしまおうかと思っていたけど、それも面倒だったのでそのまま放置状態でした。
(※2006年3月27日にひとつに統合しました。)
書きたい事、言いたい事は山ほどあるのだけれど、どれも文章にする気力がなく、自分の文才のなさを痛感した1年でした。
昨年、閉館した近鉄劇場、少し前に中に入る機会があったので、行って見たら、すでに機材などは、大阪市や、MBS劇場が新しくオープンする劇場などへ引き取られて中はもうすっからかんになっていた。
建物はそのままなので、誰かがその気になればまだ復活出来るかも知れなかったけれど、だんだんそれも難しくなっている。
しかし、使われていた機材がそのまま放置される事がなく、新しい場所でまた使われるのなら、その方がずっといい。
閉館してしまったけど、その機材が利用されてまだまだ近鉄劇場の存在は残る気がする。
この1年の間に関西でもいくつか新しい劇場がオープンして、パッと見ではかつての危機感はなくなっているような気がする。
しかし・・・
きちんと公演が出来る劇場はまだない。
いくつかオープンした劇場はどれも設備が仮設であったり、季節限定であったり、劇場として申し分のない機能を持っているとは言えない。
最初の立ち上げがその場所なら、その劇場に合わせた公演を行えるけど、東京の劇団を呼ぶ時に、東京のきちんとした劇場で作られたものを持ってこれない。
きちんとした設備の劇場なら仕込みが2日や3日で行えるものが仮設の場合、その分、時間や人やよけいに必要になってくる。
それを負担するのはそれぞれのカンパニーであり、悪条件に立ち向かうスタッフである。
少なくとも近鉄劇場・近鉄小劇場並の劇場がないと、関西はまだまだ劇場がないに等しい。
今年、北九州芸術劇場へ仕事で行く機会があったが、あれぐらいの劇場が関西に欲しいと思った。
大阪はまだまだ劇場文化に乏しいところだけど、何が怖いかと言うと、すでに十分やった気になっている気配を感じる事だ。
まだまだだという自覚を持たないと、このままで満足されてしまう気がする。
日本舞台美術家ギルド主催による舞台美術国際セミナー/ワークショップ2004が開催されます。
イギリスの演出家・芸術監督 Sir Peter Hall氏を迎えてのセミナーとワークショップです。
舞台美術家、舞台照明デザイナー、音響デザイナー、舞台監督、、俳優達などの舞台人とのコラボレーションの在り方についてがテーマです。
4月6日〜8日(東京会場)六本木オリベホール 14:00〜15:00 休憩30分 15:30〜16:00
東京都港区六本木6−1−24 ラビロス六本木8階 Tel 03-3403-9400
4月12日(大阪会場)ノースホール 14:00〜15:00 休憩30分 15:30〜16:00
大阪市中央区本町2−4 大阪国際ビルディング2階 Tel 06-4705-9050
入場料は無料ですが、席に限りがあります。
興味の持たれた方は行ってみてはいかがでしょうか?
東京の演劇関係者の中でも話題になり、テレビなどの取材もあった閉館が決まってからの近鉄劇場の楽屋などに残された出演者達のメッセージを紹介します。
楽屋だけではなく、舞台の操作盤にも記されています。
2月1日の近鉄小劇場に続き、2月4日、近鉄劇場も18年の幕を閉じました。
最終公演は劇団ふるさときゃらばんの「パパの明日はわからない」でした。
最後の公演のカーテンコールには舞台スタッフ、近鉄劇場の関係者も舞台上にあがり最後のお別れをしました。
私も舞台に立ってゆっくりと客席を見渡して、最後を見届けたお客さんの想いを感じる事が出来ました。
公演終了後、バラシも全て終えてから、最後に舞台上でお別れの乾杯をしました。
もうこの客席に座る人はいません。
18年間、ここで役者を照らし続けた照明機材もここでの役目を終えました
舞台上のこの劇場での役目を終えたスポットを見ていると、もうここで使われる事がないと思うとちょっと泣けてきます。
色々な思いが交差する中での閉館ですが、これは新しい劇場文化へと繋がるための意味のある終わりであると思います。
この劇場はこれで終わりですが、これからの劇場文化を作るための新しいステップとしての意味のある閉館だったと思います。
18年間ありがとう。