仕込み図を描いていたが、キーの名前に々の字がたくさん出てくる(登場人物の名前なので)が、今まで日々とか打ってから日を消していたけど、数が多いと面倒。
なんて読むか調べてみた。
こういうのって学生の時に習ったのかな?全然覚えていない。
うちはEG BRIDGEを使っているが、EGだと「どう」で変換したら出てきた。
後、「くりかえし」で変換しても出てきた。
今頃になって1つ勉強。
これで々の字がたくさん出てくる登場人物がいても大丈夫。
こんな事に時間を取っているから仕込み図は全然進まない・・・
東京分の仕込み図に取り掛かるが、なかなか進まなくて現実逃避。
気晴らしに鉛筆削りの修理をしていた。
電動ではなく、手で回す古いのが倉庫に転がっていたので。
ああっこんな事している時間ないのに・・・
あの阪神大震災からまる10年経とうとしている。
テレビでは震災特集で、当時の映像を流し続けている。
あの当時は幸いな事に部屋の物が崩れた程度で避難生活を送る訳でもなく、家を失った知り合いがいたけど、なんとかみんな無事でいてくれたので、耐えきれない悲しみを経験してはいないけど、地震直後に神戸に入って見た光景と、当時テレビで流れた悲しみが心に残っているので、今、また流されている映像を素直に捉える事は出来ないと思っていた。
あの当時もそれからもずっと引っかかっているのは、もしかしたら知らないだけで、今までの人生の中で知り合った誰か、小学校や中学校の同級生の誰かがあのの震災で亡くなっているかも知れないという想いだ。
10年の月日の中で普段の生活の中ではもう気にもしなくなっていた事だけど、今また映像を見ると、またあの想いが呼び覚まされると思った。
ただ、違うのは今見る映像は作り事のように思えて現実感がない。
ずっと、阪神大震災に関する映像を見る事は、胸が痛くなる想いがあったはずなのに、それが無くなってきている事に気付いた。
たった10年で変わるのならいつかすっかり忘れてしまう日が来るかも知れない。
これは当事者ではない悲しみだ。
あんなにも間近にいたのに、全てを他人事にしてしまう、そんな悲しみを10年目に感じてしまった。
自転車の走行距離を記録しようと、BLOG Meterを付けたけど、まったく乗っていないまま。
年が開けたら、寒中走行をがんばると言っていたのに。
でも寒いからいや。
あんなに寒さに強かったのに、こうも体が動かなくなるのは歳のせいなのか、だから体を鍛えようと寒中走行がんばるつもりだったのに、でも寒さに負けた・・・目的と結果と原因が絡まっている。
事務所も寒くて、全然暖房が効かず、寒い寒いと時々歩きながら、でもなんとかツアー分の仕込み図は書き上げた。
でもまだ別の東京公演分が手付かず。
もうあんまり日がないのに・・・これもみんな寒さのせいだ。でもこれは言い訳だ。
・・・そんな言い訳していいわけ?
道を歩く時は、大抵車を避けて道路の端を歩くが、何気なく端の壁際を歩いていた時、目に留まった。
親切に書いてあるけど、これを目にした時は、ちょうどこの看板の真下。
気付いた時には遅かった・・・なんて事になるかも。
遠くからでも分かるようにしないと、注意している意味ないんじゃないの?
・・・って言うか、その前に壁直せよ。
温泉旅行の帰りに奈良公園に寄ってみた。
奈良公園と言えば鹿。
鹿と言えば鹿せんべい。
鹿せんべいはいつも手にした途端に突っかかってくる鹿は相手にせず、その後ろにいる子供の鹿にあげるようにしている。
その子供の目の前に鹿せんべいを差し出すと、たまに「えっ?食べてもいいの?」って感じの驚いた顔をする鹿がいて、そのまま差し出すと遠慮がちに食べる姿が好きです。
子供ばかりに選んであげていると、たまに怒りだして角で突っかかってくる鹿もいるけど、そんなやつに負けてたまるかと思うんですが、そんなのに回りを囲まれると、泣いて負けてしまう時もあります。
くやしいです。
鹿せんべい売り場のあたりをずっとウロウロしている鹿もいれば、まったく興味なく近寄らない鹿もいて、その違いはなんなんだろうかと今回は考えてしまいました。
鹿せんべいに見向きもしない鹿には、どことなく鹿のプライドを持った顔を垣間見た気がするのは気のせい?