あの阪神大震災からまる10年経とうとしている。
テレビでは震災特集で、当時の映像を流し続けている。
あの当時は幸いな事に部屋の物が崩れた程度で避難生活を送る訳でもなく、家を失った知り合いがいたけど、なんとかみんな無事でいてくれたので、耐えきれない悲しみを経験してはいないけど、地震直後に神戸に入って見た光景と、当時テレビで流れた悲しみが心に残っているので、今、また流されている映像を素直に捉える事は出来ないと思っていた。
あの当時もそれからもずっと引っかかっているのは、もしかしたら知らないだけで、今までの人生の中で知り合った誰か、小学校や中学校の同級生の誰かがあのの震災で亡くなっているかも知れないという想いだ。
10年の月日の中で普段の生活の中ではもう気にもしなくなっていた事だけど、今また映像を見ると、またあの想いが呼び覚まされると思った。
ただ、違うのは今見る映像は作り事のように思えて現実感がない。
ずっと、阪神大震災に関する映像を見る事は、胸が痛くなる想いがあったはずなのに、それが無くなってきている事に気付いた。
たった10年で変わるのならいつかすっかり忘れてしまう日が来るかも知れない。
これは当事者ではない悲しみだ。
あんなにも間近にいたのに、全てを他人事にしてしまう、そんな悲しみを10年目に感じてしまった。
Posted by seizi at 2005年1月17日 03:46 | TrackBack (0) | [EDIT]