2004年1月17日

寺山修司の「奴婢訓」

今日も雪の舞う中、朝から劇場へ入っている私ですが、実は今日は前から見たい芝居の公演がある日でした。
去年、どうしても見たくて前売りを買っていたのですが、仕事が抜けれずに断念しました。
せっかく前売り買っていたのにー!!

その芝居は寺山修司の「奴婢訓」です。滋賀県びわ湖ホールでの公演です。

実は演劇実験室◎天井棧敷ではないこの演劇実験室◎万有引力による「奴婢訓」の初演、1989年8月の大阪公演は見たのですが、その時目の前に出現する空間のすさまじさに衝撃を受けました。(この公演は天井桟敷最終公演というサブタイトルがついていました。)
その当時、まだ若造だった私に多大な影響を及ぼし、芝居の明かりの作り方の大きな転機になったひとつです。

一番印象に残っているのは、坊主頭の半裸の男達が繰り返し暗転の中でマッチを擦り、その一瞬の光の中でセリフを叫ぶシーンですが、完全な暗闇の中に一瞬の赤い炎と共に男の顔が次から次へと浮かび消えていく様は身震いするほどの興奮を覚えました。
この公演で場面によっては明かりなど必要ない、また見せるだけが舞台照明ではないという事を教えられたのです。

あれから15年が経って少しは成長したであろうと自分自身で思うので、今の芝居や明かりに対する意識の元でこの公演を見て色々確かめたい事があったのですが、それも叶わず残念でなりません。
もう再び見れないかも知れないのに・・・

続きは今日特に思ったことです。

最近色々な公演で色々な人のデザインする明かりを見て思う事ですが、明かりがでしゃばりすぎです。
自意識過剰の自己満足としか思えない明かりの作り方をする人が多いです。
もっと見える空間を大事にすべきです。
あと、もっと光源を大事にすべきです。光源にこだわるべきです。

目の前の空間全てに意識を置き、こだわりを大切にして細心の注意をはらい、神経を研ぎ澄ましてもてる力の全てを出し尽くして作り上げるべきです。
たくさんの機材を吊る事が美学ではありません。
見せるもの、見せないものをちゃんと認識する必要があります。

舞台芸術は全てが完成して初めて成立するものです。
決して欠け落ちてしまわないように最善の努力が必要です。
自分に自信のないものをお金を取って人に見せてはいけません。
全てにこだわる事が一番重要です。
でもそのこだわりがわがままになってはいけません。

・・・と自分に言い聞かせました。

Posted by seizi at 2004年1月17日 16:21 | TrackBack (0) | [EDIT]
コメント

芝居は好きですがなかなか行けません。音楽も演劇も、舞台って外科医にたとえれば手術と同じで、壮絶なプレッシャーの中失敗の許されない世界ですよね。先日も神戸のとあるSMバーで働くお芝居好きな連中と話してきましたが、年に4回ほどある自主公演のために胃に穴が開きそうだと言っていました。Charaさん、頑張ってください。

Posted by: ECRI at 2004年1月18日 11:33

緊張してごはんが咽を通らない時もありますけど、止められないんです。終わった後の快感に取り憑かれているんですかね。
神戸のお友達も多分同だと思います。

頑張りますので陰ながら見守って下さい。(笑)

Posted by: seizi at 2004年1月19日 04:16
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