この間たまたま鈴虫を飼いたい人と子供が生まれて鈴虫の引き取り手を探している人がいて、その間に入って受け渡しについてそれぞれから届いたメールの内容を伝えたりしていたが、その間を取り持つ感覚が高校時代につれから知りあいの女の子に気持ちを打ち明けるための段取りを頼まれた事に似ている気がした。
まあ、今回は鈴虫を受け渡す段取りだけで、しかも片方は去年幸せな家庭を築き上げたばかりなのでそういう事にはならないのが少し残念。
受け渡しは利賀村へ行っている間に滞りなく行われたそうです。
最近はなんでもかんでも携帯メールなどでやり取りするので、もう手紙などでそういう事を伝えたりはしないのだろうか?
あの当時には携帯などなかったから女の子からはいつもなんでもどんな時も手紙を貰っていたのを思い出した。
その手紙も色々な折り方でかわいらしく作られていた。
貰うたびにこんな折り方もあるのだと感心したものだ。
最近の子はもうこんな折り方で手紙を作ったりしないのだろうか?
便利になった反面こういう物が減ってきているのが少し寂しく思う。多分、もっと前にはもっとしゃれた手紙や伝え方があったのだろう。恋文という言葉にある深い想いが薄れてしまった気がして感覚的に退化し続けているのかも知れない。
もっとも最近はこういう手紙を受け取る機会などもないのでただ単に知らないだけで真剣な告白には恋文は存在しているのかも知れないけど・・・
高校時代に貰った手紙でもっとも感動というか感心したお気に入りの手紙はセーラー服の形に折ってある手紙でした。
こういうの↓
思い出して折ってみました。稽古のスケジュールでもいいから誰かこれで頂戴!